転がる石に花よ咲け

伝えきれぬ愛しさは

 

どう見たって後輩を応援する名のもと立ち上がったブログだけど、最後にどうしても書きたくなったので書かせてもらいます。将来、見返して笑えるといいなあ。

 

21年前、嵐と同じ年に生まれ、嵐と一緒に成長してきた。小学生のときに嵐を知って、「魔王」ひいては「trurh」で嵐を好きになって、初めて自分の意志で行ったライブが嵐だった。CD、グッズを買いそろえて、暇さえあれば嵐を見て、曲を聴いていた。ライブで、今まで行ったことの無かった色んな地方に行った。困難に直面した時に役立つ教え、日常の豊かさ・有難み、日本の美しさなどいつまでも心に留めておきたい大切なことから、冬に桜は咲かない、グレーのパーカーは二重に着るもんじゃない、潮の船で渡航は無理、など知っていたところで何の役にも立たない知識まで、嵐の応援を通して様々なことを知った。音楽の素晴らしさ、言葉の力だってそう。信じられないような夢もたくさん見た。中学校に入っても、高校に入っても、大学でも…決して大袈裟ではなく、嵐を応援してきたことが私の青春であり、人生だった。

 

たぶん、ファンじゃない人には誰一人信じてもらえなくて、一方でファンの人には全員共感してもらえると思うけど、嵐を応援して十数年、今の今までずっと嵐を"遠く"に感じたことがないよ。アイドルで、スーパースターで、私のなかのエンタメの頂点だけど、いつなんどきでも親戚のお兄ちゃんみたいな親しみやすさがあって。会場はだだっ広いのに、始まってしまえばすぐ近くに嵐がいて。20周年が近づくにつれて、嵐が出す数字の重さにようやく気付いて、知ってたけど、重々知ってたつもりでいたけど『嵐ってとんでもないグループじゃん!』って実感して。それもこれも、嵐が、5人が、トップに立ってもずーっとファン一人一人に寄り添い続けてくれたからなんだよね。21年、とくに2009年の十周年を迎えてから、一般人の何十倍の速さで彼らの世界は回っていただろうに、いつだって、ファンの子が何をしたら喜んでくれるか、それを一番に考えてくれた。苦しいとき、隣で支えてくれた。遥か遠く、笑ってしまうぐらい遠いところにいる存在なのに、いつも、どんなときも、側にいてくれたね。

 

ありがとう。

 

嵐からもらった衝撃や感動はこの十数年分、全部鮮明に思い出せるし、これからもわすれないんだろうな。

人生のなかで本当に一度だけ、10代前半のとき、苦しくて上手く息ができなくて、この世界から消えてしまいたいと本気で願ったとき、無意識に再生したプレーヤーから流れてきた『感謝カンゲキ雨嵐』で堰を切ったように涙が出たのを覚えてる。その当時泣いたのはその一度だけ。泣いて泣いて、そこからまた前を向けるようになったこと、絶対に忘れない。忘れられないよ。

 

そして、大野担として、大野担だからこそ、”戻ってきてほしい”って一言がどうしても言えなかったから、嵐が作り上げてきたたくさんの番組で名だたる人たちかが嵐に直接"待ってる"って伝えてくれたのほんとにうれしかった。この1カ月ちょっと、苦しかったけど、嬉しかった。そんなことを言ってもらえる人たちを好きになれてよかった。嵐を応援してきた人生を、また誇りに思えた。

 

苦しいときも、楽しいときも、なんてことない日常も、ずっと嵐がいた。私の人生の中の喜び、楽しみ、トキメキ、ほとんど嵐が作ったんだよ。楽しかった。嵐と共に生き、共に過ごした21年、最高だったよ。

 

大好きです。いつもありがとう。ずっとありがとう。

嵐が作り上げてきたものが、音楽が、これから先もずっと生き続けますように。

 

 

 

 

 

うん、最後だから、書いちゃおう!

大野くん、アイドルで、嵐でいてくれてありがとう。ずっと好き、大好き。今大野くんに向けて書こうと思った瞬間に視界がぼやけてくるぐらい好きだよ!

プライドは人一倍持ってるけど無欲な人だから、一部の大野くんのファンが代わりに欲張りになって、見たくないものたくさん見たよね。自由を好むのに、アイドル、リーダーっていうものに誠実すぎて、優しすぎて、たくさん苦しい想いをしたよね。私には想像もつかない世界で生きていたと思うけど、それでもステージに嵐の大野智として立ち続けてくれたこと、その姿にたくさん救われました。大野さんの”ファンの子”になれてよかった。いつだって私のスーパースターであり最上級の憧れです。大野さんみたいな人になりたい。これが私の人生最大の野望です。

やっぱり歌声も踊りも人柄も大野智が一番!他と比べようがない、圧倒的な一番星!今までも、これからだって、絶対そう。

数えきれない人を何十年も幸せにしてきたんだから、大野さんも幸せになる義務があります。というか絶対幸せになってほしい。これは願いであり、私のエゴです(笑)

これから先は好きなことをして、好きなように生きて、好きな人を大切に、好きな時間を大切に、自由に生きて 世界中の誰より幸せになってさい。この願いが全て。大野さんが幸せであってくれたら、この2年間の私の想い、大野さんのファンの想いもきっと救われるから。これだけしか望まない!大野さん!ずっと健やかで、笑っていてね!

 

ありがとう。大野さんを追いかけた10数年、ほんっとうに幸せでした!

 

 

ベールの内に光る真譜

(突如として解禁されたSixTONESの新曲にどうしようもないぐらい心を揺さぶられてしまったオタクが壁打ち上等の名のもとブログを新規で開設しひと思いに書き上げました。ちょっともう書いてる今もわけがわからないし明日読み返しても後悔するであろうとっ散らかり具合です。何度だって言いますが壁打ちの申し子なので読み手への配慮ができていません。全てが謎に包まれた新曲「ST」を自分なりに解釈しました。本当に自分なりの直感的な解釈です。誰か…誰か共感してくれたら嬉しいな…)

 

 

2020年11月14日

時刻は深夜一時。やれ口内炎だ、やれパチコキ野郎だと大いに盛り上がりを見せたラジオも例によって例のごとくエンディングを迎える。

 

「やっぱ振りの真意まではやっぱみなさんわかってなかったですけどね」

「あ~そう!まあ、これも青ソニの仕業だからね」

「まあまあ、これも、青ソニとSixTONESからの皆さんへの…」

 

「また皆さん、悶々として頂ければ」

「読み解いてください?」

 

もう終わるってのにやたらニヤつきながら話してんなこの男たち、そう思っていた矢先、事態は信じられない局面を迎えた―――

 

それでは最後に一曲聞いてください。

SixTONESで“ST*1

 

 

 

 

 

 

 

完璧だなんて 間違ったって思うな

弱さのない世界は 強さとは無縁だ 

 

よく知った男たちの声で再生される、全く知らない曲名、歌詞、メロディー。慌てて音量を上げるも、凄いスピードで進んでいく曲に対して理解なんて追いつかず深夜に一人世界から置いて行かれたような気持ちになった。呆気にとられ体が固まったように動かないなかで、ケータイを持った指先だけが小さく震えている。

回らない頭で今起こっている全てを理解しようだなんて到底無理な話だと悟った。一度力を抜いて、何も考えずにこの音楽に身を任せてみよう。そう思った矢先、スッと胸の内に入ってきたのがサビのこの詞だった。

堰を切った、という言葉通り、抱えていたものが何かの拍子で一気に溢れ出たかのごとく私は泣いた。その後、何度聞き返しても、どうしようもなく涙が出た。

私はSixTONESの音楽に完璧さなんて求めていなかった。SixTONESが伝えたいSixTONESの音楽の魅力は完璧さではないと思っていた。

その答え合わせがようやくできたような気がして、今思えば、私はこのとき、堪らなく悔しくて、堪らなく嬉しかったんだと思う。

 

 

 

 

 

素晴らしいものを生み出せば生み出すほど、より高みを求められる。

昔から常に変化を続けて来たSixTONESだが、特にデビュー後、この一年でのSixTONESの変化は圧巻だ。とくに歌唱面。今年発売されたCDを順に聞いて行けば、その変化は歴然。ジャニーズが誇る歌唱力おばけの京ジェも、溢れんばかりの魅力をはらんだ歌声を持つ4人も、全員が全員、1年前より断然パワーアップしている。そして、その変化によりいっそうギアをかけていると思われるのが「NEW ERA」だ。シングルとしては初の、テレビサイズで全員ソロパートのある楽曲。初めて聞いたとき、こんなに各々の歌声の魅力が引き立つソロが存在するのかと感動したのをよく覚えている。

全員ソロがあるということは、全員が毎回とんでもない緊張感と闘うということだ。全編通してテンポが速く序盤のソロリレーはあっという間に歌い手が変わるが、一人一人のパートが印象深くかなり耳に残る。それに加えて踊りも踊らなければならない。正直言って難易度は明らかに高いし、とくに生放送は歌唱後に音量や音質の調節ができないため、そのプレッシャーは計り知れないだろう。CDTVでは明らかにその緊張が見て取れた。しかし同時にこのプレッシャーすらも跳ね返してSixTONESの音楽を見せてやろうというような熱い魂が伝わってきた。音のブレさえ、臨場感や気迫の現れとなって引き込まれた。数日経ったMステでは、緊張感はそのままに、CDTVで本人たちが気になったであろうところが修正され、何よりも曲に陶酔しきったような表情が堪らなく耽美で圧巻だった。

私は、純粋にSixTONESすげえ…とテレビの前でただただ敬服していた。ナマモノだからこその、常に”生”で闘うSixTONESだからこその息が吹き込まれた産物だった。

 

 

ここ最近、SixTONESが歌番組に出演した際、グループ名やメンバーの個人名に続いて、生放送の音楽番組で音程や音量にズレがあったことへの否定的な意見を書いているものを見る。ズレいていた個所を事細かに挙げているものや、メンバーのズレに言及した上で一人の歌声を評価するもの、声量のバランスに苦言を呈すもの、『ひどかった』『ガッカリ』と直接的な言葉で表現するもの等々..そのつぶやき一つ一つがいずれもSixTONESのファンのものだ。SixTONESのファンだという人しか呟いていなかった。初めて見たとき、私は開いた口が塞がらなかった。

 

私がどうしようもない憤りを感じた原因は大きな、とても大きな価値観の違いだと思う。そして、これは一生相戯れない部分だと思う。

上記を見て感じたと思うが、私は私と異なる価値観を持つ人が悪者に見えるような書き方をしている。この問題は価値観(推しに求めるものやパフォーマンスの受けとり方)の絶対的な違いから起こりうる問題なので、言ってしまえば仕方ないものだ。こんな書き方をして申し訳ないとも思う。ただ、私は本当に悲しかった。あんなに魂のこもったパフォーマンスが、”ピッチや声量の完璧さ”というただ一つの観点からなるモノサジにかけられて、満たさなかったからと酷評されるのが。『音程が取れないと曲の良さがわからない』なんて、音程がブレただけでその他の全てが無かったことにされてしまうのが信じられなかった。『ファンだから』『期待してるから』という言葉を盾に、まるでお説教のように自分が改善してほしい点を書き連ねる、その心理が理解できなかった。そもそも肯定できない部分が見えたとして、それをわざわざSNSに書く意味は?本人の目にもついてしまうだろう場所に検索避けもせず、あろうことかハッシュタグまでつけて書く意味は?アイドルってオタクの期待を満たすための道具だったっけ

あまりにもひどい言葉を投げている人は氷山の一角だと重々承知している。しかし、私には魅力の一つにも思えた点が、同じグループを応援している他者から見るとマイナスポイントになってしまうのかと、どうしようもなく悲しくなってしまった。同じファンなのに。甘やかしてる、盲目だねって笑われてもいい。私は、あの惨状を『ファンの意識が高い』だなんて絶対に笑えない。そんなに優しくなれない。

 

 

 

 

私はSixTONESの音楽が好きだ。

とりわけ、SixTONESが歌う、がむしゃらな、泥臭い、人間臭いロックが好きだ。

 

もともとロックは好きだったけど、心の内から滾るような、言わばロックの神髄と言われるような熱いロックはあまり好きではなかった。ある一定のラインを超えると”あついなー”と、冷静に客観視してしまう自分がいるからだ。歌詞もそう、メッセージ性があまりにも強いと引いてしまう。そのたため、俗にエレクトリック、サイケデリックなどと表現される天気のいい日に外を歩きながら聞きたくなるようなロック、もしくはエモーショナル、メロディアスと言われる、雨の日にソファーで微睡ながらかけておきたいロックを選り好んで聴いていた。*2

 

そんな私のなかの概念をぶち壊したロックがある。2019年5月1日、CHANGE THE ERA -201ⅸ-大阪公演の生配信で見た「Rollin'」だ。SixTONESにハマって幾何もなかった私は前半の生配信に続き初めて見たSixTONESのライブに興奮しきりだった。とにかく歌が上手い。踊りも一人一人の個性が出ていておもしろい。演出がお洒落で、かっこよくて、何から何まで新鮮で、とにかく楽しくてしょうがない。会場の興奮も熱気も画面越しで十分伝わってきて、ライブ特有のえも言われぬ多幸感に浸っていた最中、ライブ終盤「BE CRAZY」で一気に空気が変わっていくのを感じた。それは、今までどのライブでも感じたことの無い、穏やかな息苦しさだった。潮が引いたように、熱に浮かされていた頭が急激にクリアになり、それでもって、何だか泣きたくなるような切なさが胸に押し寄せる。静まり返ったようなステージで、6人が纏うデニムの青が光を浴び、淡く輝いていた。

「BE CRAZY」もある種魔法のような力を持つ曲だと思う。ライブ会場にさえいない私が、何がどうなってそんな空気を感じ取ったのか、詳しいことは覚えていないが、特に北斗くんの表情に強く引き込まれたのを覚えている。語弊を生むかもしれないが、なんて顔をして歌ってるんだと、思った記憶がある。

そのある種異様な空気を纏ったまま迎えたのが、本編ラストでの「Rollin'」だ。あの日、私たちが思ってる以上に6人にとって大きな意味があったように思えるあの日の「Rollin'」は、それはそれは凄まじいものだった。今でも忘れられない。今にも消えてしまいそうな儚い表情で必死に紡がれる『消えないで』の言葉。『泣いてないって』と歌う6人の顔は、声は、完全に泣いていた。あまりにも苦しすぎる「Rollin'」だった。

感情のままに声が揺れていた。みんなとんでもない顔をしていた。歌であり、悲鳴のようにも感じたそれは完璧なんかじゃなかったと思う。でも私は完全に心を鷲掴みにされてしまった。歌詞通りの決死の表情、感情のまま動く体、歌声の震えやブレさえも、全てが私に強く訴えかけてきた。”上手い”なんて言葉がちんけに聞こえてしまうほど、SixTONESのパフォーマンスはとにかく私の心を揺さぶり離してくれなかった。このパフォーマンス以降、曲自体をトラウマに感じ聞けなくなってしまったほどだ。

私が思うSixTONESの音楽の魅力は、上手い下手なんていう尺度では測れない、パフォーマンスの全てを通して聴く人の感情を大きく揺さぶってくるところにあると思う。

 

そしてもう一つの魅力は、進化だ。

どうしてもあのとき感じた苦しさが再燃し聞くのが辛かった「Rollin’」は、同じくRough "xxxxxx"、そしてTrackONE -IMPACT-で披露された「Rollin'」によって1年越しに昇華される。開幕の雄叫びと共に、絶対に消えない圧倒的な存在感を放ちながら、挑発的な笑みを見せ高らかに歌い上げるSixTONESを見て、これがSixTONESの音楽であり、底力なのだと心が震えた。そこにはあの日から明らかに進化し、強くなったSixTONESがいた。その軌跡がまたこの曲をより魅力的にしたのだ。私が思うもう一つの魅力は、この進化の過程だ。SixTONESのパフォーマンスは完璧ではない。完璧ではないからこそ、どこまでも進化し続けるし、その進化の速さと度合いには毎度目を見張るものがある。SixTONESの妥協をしない、いつも命懸けの姿勢は、これから先、SixTONESの音楽を完璧のその上の上をいくものに必ずや進化させていくはずだ。

 

私はこの二つの魅力が存分に感じられるSixTONESの泥臭いロックが大好きだ。SixTONESのおかげで泥臭いロックが大好きになった。

 

SixTONESの根幹にあるロック、そのなかでも王道のラウドロックである「NEW ERA」は見る度に進化している。また、「NEW ERA」を通してSixTONESも進化している。あの曲はSixTONESと同じく絶対に”生”で輝く曲だ。ライブなんかで聞いてしまったら、私みたいにロックが好きな人はたぶんその場に立っていられないぐらい泣いてしまうんじゃないだろうか。

「NEW ERA」は素晴らしい楽曲だ。緊張感のあるパフォーマンスも素晴らしい。それなのに、こんなに素晴らしいのに、なぜマイナス評価がつきまとってしまうのだろう。

胸の中に引っかかりを持ち続けていたあの日、突如として現れたのが冒頭にあった「ST」だった。

この歌詞が全てだった。今の、まさに今のSixTONESに歌ってほしい詞だった。

 

完璧だなんて 間違ったって思うな

弱さのない世界は 強さとは無縁だ

泣き笑っても憂いても未来は

強い光の方だ そこに向かってくんだ

 

まさしくSixTONESを現す詞だと思った。

繰り返しになってしまうが、SixTONESは完璧ではない。だからといって彼らは弱い部分に見切りをつけて切り捨てたりなんかしなかった。いつだって弱さと正面から向き合って、諦め悪く己を磨くことで、弱さを強さに変えてきた。ひとときの穏やかな晴れ間も、永遠に続くように思える身を切り裂くような雨の日も、顔を上げて、ただひたすらに強い光の方を目指して走ってきた。

あんまりにもSixTONESだった。特に印象的だったサビだけを上げたが、全編がSixTONESそのものだった。この詞で曲名が「ST」だなんて言い出すんだもの。そんなのチートだ、堪えられるわけがない。

Rollin'の第二章みたいだという意見を見た。たしかに冒頭のギターが似ているし、私個人の解釈では、ボロボロだった5月1日のあの「Rollin'」から、またさらに高い壁にぶち当たって、不条理な雨に打たれて、それでも決して立ち止まらずがむしゃらに走り続けた先にあるのが「ST」のように感じる。どちらももう傷だらけでボロボロだけど、「Rollin'」はそのまま渦に巻かれていくやるせなさのようなものを感じる一方で、「ST」は、土壇場でもう一度顔を上げ全てを巻き込みにいくような、諦めない、熱い血の流れを、眩い命のきらめきを感じる。

わかってはいたけどSixTONESは強かった。強くなっていた。強さゆえの弱さまで大切に抱き締めた、最高にかっこ悪くて最高にかっこいい曲が「ST」だ。まさに、私が大好きなSixTONESだった。この歌を、今こうやって届けてくれてるなら大丈夫だと思った。

すべては杞憂だ、やっとそう思うことができた。たくさんの価値観があって、きっとその価値観のズレからくる悲しみも歯痒さもこの先ずっと消えない。相変わらず外野もうるさい。それがどうしようもなく悔しい。でも、SixTONESはこれから先も、ずっと”SixTONES”だ。SixTONESは、SixTONESのこれまでを信じているし、何よりもSixTONESであることを大切にしている。「ST」を聴いてそう確信した。だから、これから先も己のままに走って行ってくれれば、他になにもいらない。そう思う。teamなんて言葉、良いように利用しちゃって!好きなようにやっちゃって!私から求めるものなんて、たったそれだけだ。

今、改めて言いたい。私はSixTONESの音楽が大好きだ。

 

 

 

 

 

 〈あとがき〉

曲名と歌詞しかわかっていない(曲名も歌詞もいずれも定かではない)のによくここまで書いたなって見返して自分でもドン引いていますが、それほど、「ST」って曲が単純に好き!!!!って思ったんですよね。今まで人生で一目惚れする曲なんて数個しかないはずだけど、「NEW ERA」と「ST」に関しては惚れるどころか心まるごと持ってかれて困ってます。「ST」に関しては状況が状況だったのもありますが、胸のあたりをグサッと一突きされたというか。神曲ってこんなに連発で出逢えるものだったっけとか、自分こんなに情緒的なタイプだったかなとか思ったり…(笑)感情揺さぶられすぎてしんどい。解釈違いもしんどい。ソニーさんはプロモ上手。SixTONES歌うまい。これに尽きますね。

 

SixTONES紅白出場決定おめでとうございます!!!!!!

本文を書き終わったあと題名だけが決まらずこのままじゃ投稿できない…と悩んでいたら急にいい知らせが舞い込み慌てて書き足しました!こんだけウジウジ書いといてなんですがもう幸せすぎて何だってどんどこいという気持ちです!単純!SixTONESのファン楽しすぎますよ!いつもいつもありがとう!

 

 

*1:表記不明”。

*2:圧倒的な音楽知識の無さからくる例えのぴんとこなさがひどい(笑)簡潔に言うと、ロックが好きといいながらもワン○クやウー○ーあたりの王道とも言えるロックはあまり聞いてこなかったということです。